「いいね」や「フォロワー」の数ってやっぱり大事?


今日は、以前から気になっていた「いいね」や「フォロワー」の数についてをちょっとブログに書いてみようと思います。
自分の考えなども整理しつつ書いた記事なので、ちょっと(いや、かなり?)長いです。笑

 

 

でも、誰もが一度は気になったはずのことをテーマに書いているので、ぜひ時間があるときにじっくり読んでもらえると嬉しいです。

 

 


 

 

そもそも、なぜこんな記事を書こうと思ったか?

 

きっかけは先日、写真家の濱田英明さんがしていたこんなツイートから始まります。

 

 

 


 

 

「見てもらいたいお化け」って、オモロイ表現ですね。笑

 

TwitterやFacebookにInstagramなどなど。
小さな違いはあれども、今挙げた現在の主要なSNSすべてに「いいね」が付けられる機能が備わっています。

 

 

自分の発信を数値化して見ることが可能なつくりになっている以上、「いいねやフォロワーの数」というものは必ず目に入ってくるものだし、ここで述べておられる事はそうかもなーと思いました。

もし「いいね」の数などを自由にミュートできる機能などが付けば、また話は違ってくるかもしれないけど。

 

 

 

もはや僕たちの生活の一部となっているSNS。
ここで、SNSや「いいね」や「フォロワー」の数について考えている事を整理してみようと思います。

 

 

 


 

 

 

そもそも「SNS」というのは、「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」というのが正式な名称で、『人と人とのつながりを促進・サポートする、コミュニティ型の会員制サービス』というのが定義となっているそうです。

 

また、SNSを生み出した西海岸のエンジニア達の思想にもともと「シェア」というものが備わっていて、それを元にSNSが生み出されたという側面もあります。

(西海岸の思想は書き始めるとと本題からそれちゃうので省略します。)

 

 

 

この定義や思想をもとに考えてみると、「シェア」をきっかけに人と人とが繋がりを持てるのが「SNS」という風にも認識できますよね。

 

 

 

たとえリツイートやシェアといった機能を使っていなくても、「SNS」そのものに何かしらを投稿した時点で、すでに僕たちは誰かと何かをシェアをしているという状態になっていると言ってもよいかもしれません。

(SNSの規約にもちゃんと書いてあるしね。)

 

 

 

 


僕たちは毎日誰かと何かをシェアしている。


シェアされたものに「いいね」する。

 

 

 

 

そうなってくると、さらに新たな疑問点が浮かんできます。

 

 

 

 


そもそもシェアって何だ?


なんで「いいね」するんだろう??

 

 

 

 

そんなモヤモヤした思いに大きなヒントを与えてくれたのは、糸井重里さんが書いた「インターネット的」という本でした。

 

 

 


 

糸井さんの本でSNSについての考えが深まった3つのヒント

 

①「シェア」は「おすそわけ」

②価値観はフラット

③クリエイティブな消費

 


 

 

 

1 「シェア」は「おすそわけ」

 

 

 

 

この本の中で糸井さんは、「シェア」を「おすそわけ」といったニュアンスに翻訳していました。

 

 

 

「おすそわけ」

 

 

 

そう言われると、すごく良い感じに聞こえませんか?

僕は読んだ瞬間に、何かがスッと腑に落ちた気がしました。

 

「自分が持っているものを誰かにおすそわけしたい」って言った途端に、親近感が湧いてくるような気がしますよね。

すごく良いなぁって思えるものや事があったなら、やっぱり誰かに「おすそわけ」したい。
そんな気持ちで、いつも僕は記事を投稿したり誰かの投稿を「いいね」したりしています。

 

 

 

さらに、誰かが面白かったり、良いなーって思えるものがあったらそれも定期的に見てみたい。
だから、おすそわけしてくれる人をフォローする。

 

 

 

一方で、ただフォローした人の興味のない「おすそわけ」だったら「いいね」しなくなるかって言うと、やっぱり興味がなくても「いいね」はする。

 

 

 

見たよーって意味で「いいね」したりしてる人、結構多いんじゃないかな。
そう考えると、「いいね」の数が多いっていうのは、見たよーって人が多いって事でもあるのかもしれない。

 

 

 

だから、『いいね』ひとつにしてみても、

「見たよ!」とか「これ素敵だからみんなも見て!」とか「好き!」とかおそらく色んな意味が含まれてるんだと思うんです。

 

 

 


 

 

 

2 価値観はフラット

 

 

 

今までは「みんなの優先順位が一定で、みんなが同じ優先順位を持っている」ことが社会の常識なるものを下支えしていたそうです。

(例えばだけど、年越しはみんなで紅白歌合戦観るのが当たり前とかね)

 

 

しかし、この数十年でインターネットやSNSが普及したことにより、あらゆる価値が多様化しました。

 

ただ価値が多様化したというより、

 

 

「価値の順位付け」が多様化して「価値の順位組み換えが個人の自由」になったってこと。

 

 

 

さっきの年越しの話でいうなら、紅白以外にガキ使やRIZINを観ても自由だし、なんならテレビは見ずに外に出かけて誰かと飲みながら年を越すのもアリってことです。笑

さらにこれをSNSに置き換えてみると、価値観がもっと広がっておもしろい。

 

 

インスタグラムだけ見ても、僕たちみたいに写真が趣味で撮ったものをSNSにあげる人もいれば、日常の風景やカフェのランチ、可愛い猫の写真をあげる人もいる。

 

同じSNSを利用する人の中でもそれぞれに目的や好きなものがあって、それを更新していっている状態ですね。

 

 

 

この価値観のフラット化についても、糸井さんは著書でわかりやすく説明してくれています。
それを、図解してみるとこんなカンジです。
(例として、自分の中でお金をかけたいものの優先順位で説明したいと思います。)

 

 

この図では、全員が同じ順位の価値観を持っていて、三角形の上部にいくほど価値観の優先順位が高くなっています。

 

 

 

↓これが、インターネットやSNSの普及後にこうなりました↓

 

 

さっきの図と違うのは、三角形の先端部分にそれぞれ価値観の優先順位が高いものがあって、人によってその対象が変わっています。

 

さっきの図のように『誰でも”家”という価値が一番』ではなくて、人によって”猫”が一番だったり”ファッション”が一番だったりと、様々な価値の優先順位が存在するわけです。

 

 

 

このそれぞれに自分の優先順位を大事にしている感覚が、僕はとっても気持ちいいなーって思います。

 

 

 

だから、SNSをやる上で何を大事にするかというのは、個人の自由。
使い方も目的も、それぞれがもっと自由でいいと思うんです。

 

 


・コミュニケーションを取るのが一番の目的でも自由
・自分の世界観を投影するのも自由
・もちろん「イイネの数」を目的にするのも自由

 

 



ちなみに僕自身としては、SNSに写真をあげるあげないに関わらず、遊びながら笑って撮ってるときが一番楽しいなと思っています。

 

 

 


写真は、「風景や食べ物、動物も、撮れるもの全てを遊びに変えられる最強のもの」だと思っている。

 

 

 

だから、僕にとっては表現も遊びも等価値で優劣なんてないんですよね。

 

 

 


 

 

 

3 クリエイティブな消費

 

 

 

「でもやっぱりフォロワー数が多くて、何かを生み出したり、SNS上で自分を表現してる人ってすごくない?」


「それに比べて自分は写真を撮ってただ消費するだけで、なにも生み出すことができない…」

 

 

 

僕らが写真の仕事をしている中で、たまにこんな声を耳にすることがあります。

 

やっぱりメディアを飾ったり、取り上げられたりする人っていわゆる「クリエイター」や「アーティスト」みたいな人が多くて目立ちますよね。
最近は「インフルエンサー」や「インスタグラマー」も含まれるのかな?

 

 

まぁ当たり前なんだけど圧倒的に遊びでやっている人のほうが多いし、そういう意味では表現する人は少数だから希少価値も高いのかもしれない。

もちろん、素敵なものを生み出す素晴らしい人達もたくさんいるしね。

 

 

 

しかし、だからと言って遊びでやってるからって引け目を感じたり、卑屈になることはないんじゃないかなぁと思うんです。

たしかに、10年ほど前に僕が学生だったときから「大量生産、大量消費は良くないこと」みたいに教えられていたし、もっと生産的なことをしようと言われていました。

 

 

 

でも、本当に「遊び」とか「消費」って良くないことなんだろうか?
そもそも遊びとか消費って、なんでちょっと後ろめたい気持ちになるんだろう?

 

 

というか、「生産」「消費」とか、「遊び」「本気」とかで優劣感じるのって変じゃない?

 

 

 

 

この疑問についても、糸井さんは著書に良い言葉を書いてくれていました。

 

 

 

「クリエイティブな消費」

 

 

 

消費をクリエイティブに行うこと。この言葉がピタッとハマった。

 

 

 

みなさんは「インスタ映え」って言葉聞いたことありますか?
文字通り、インスタグラムに映えるってことですね。

これを「インスタ蝿」と揶揄する人もいますが、そんなものは全くの無意味です。

 

 

僕自身、最近までインスタ映えなんて興味もなかったのですが、先日ふと思い立って、初めて「インスタ映え」を基準にピクニックをやってみたのです。
で、結果的にこれが思いのほかすごい楽しかった。笑

 

 

100均でおしゃれなピクニックアイテムを買って、ちょっと見栄えのいいサラダやパンも買って。
初めて挑戦したわりには、意外といい感じのものができてすごく楽しかったんですよね。

 

 


・どんな素材の器を使う?
・どんな色の食べ物なら、キレイに見える?
・どんな場所なら、光と影がきれいに入る?

 

 

 

買い物をしながらこんなことを考えているだけでも、結構ワクワクしました。笑

 

 

 

 

 

「どうすれば、自分の思い描いているものが作り出せるのか?」

 

これを考えるだけでも、結果的には何かを生み出すきっかけになると思うんです。

 

まさにクリエイティブが必要になってくる。

 

 

 

 

 

このピクニックをやってみて、僕自身わかったことがあります。

 

 

 


大切なのは「やったことがないような新しいことに、どんどんチャレンジしてみること。」

 

 

 

写真を撮るだけにしても、それがやったことのない撮り方だったり行ったことのないロケーションだったりすると、すごく知恵をしぼることになる。
でもそれが発見やひらめきとか、面白い企画につながったりするんです。

 

 

 


だから、目の前にある「興味」とか「楽しそう」みたいな気持ちをほったらかしたり、わかったふりして興味のないふりをしない。

 

 

 

センスや才能云々ではなくて、まずそこを考えられる人こそが『クリエイティブ』なんだと思います。

 

 

 

素直に自分がおもしろいと思うこと、そして周りにいる人たちを「どうしたら楽しませることができるか」を考えて、アイデアを実行する。
それをSNSとかでどんどん出していくと、「この人、こんなおもしろいことやってるの?かっこいい!」って、なったら楽しくないですか?

 

 

 

そこに誰かの評価や「いいね」の数は関係ないです。
ぶっちゃけ、楽しんだもの勝ち!!笑

 

 

 


 

 

 

てことで、オチとしては「やっぱり数じゃないよ!」ってこと?

でもなんだかんだ言っても、「イイネの数」もやっぱり多いと嬉しいですよねー。
そこは素直に「嬉しい!」と喜んでいいと思います。笑

 

 

 

たまには「イイネの数」が1番になってもいいし、それ以外の部分が1番になってもいい。

 

常に色んな価値の順位が変動し続けるくらいに、ゆるーくてもいいかなーと僕自身は思っています!