この世界の片隅に

気づけば1月も半ばになりました。一月の半分が過ぎました。
という事は2017年の二十四分の一がもう終わってしまったって言う事?はやいなぁ。
お正月には親戚のおじさんに、
「お爺さんにも会える回数限られてくるから会いに行ってあげや。」なんて小言を言われたり。
ひねくれてる僕は心の中で(そんな事わかってますよ。)なんて思いながらも、でもやっぱりそうだよなぁ「今年はちょっとだけ田舎に帰ってみようかな。」なんて思ったり。
ところでみなさんの田舎はどんなところですか?
僕の田舎、と言うかお爺ちゃんの家ですね。そこは野田川町のという字で表された通りそのまま野と田と川のある小さな町です。
ちなみに2006年に合併され与謝野町になりました。グーグルアースで見るとこんなカンジ。
写真 2017-01-18 21 27 28
でもまぁ野田川町が僕の原風景かと言えばちょっと違うんですよね。
僕は2、3歳の頃に京丹後から京都市へ引っ越して来て(いわゆるエセ京都人です笑)、年に数回帰る程度なのであまり田舎に対して強い郷愁みたいなものは感じません。
でも原風景ってなんだろう?って事で超便利な現代社会。ググってみたらすぐに出てくるウィキペディア。笑

【原風景-Wikipedia】
「原風景(げんふうけい)は、人の心の奥にある原初の風景。 懐かしさの感情を伴うことが多い。
また実在する風景であるよりは、心象風景である場合もある。 個人のものの考え方や感じ方に大きな影響を及ぼすことがある。」
って書いてありますね。
僕的には、原風景の説明書きにある「個人のものの考え方や感じ方に大きな影響を及ぼすことがある。」って部分に強く共感します。
じゃあ僕のものの考え方や感じ方に大きな影響を及ぼした原風景は何処なんだろうってなると、、
やっぱり僕の原風景は東北です。失礼かもしれないですが鍛えてもらった特別な場所。特に宮城県気仙沼と東松島には格別の思いがあります。

なんで東北かと言いますと、
2011年の9月、宮城県で短期間ではありましたが仮設住宅の環境改善プロジェクトを行うために訪れたのがキッカケです。
震災から半年しか経っていなかったので何もない、人の営みのない、人生で見たことのない風景でした。
その半年後に再び宮城県に向かい、2012年の3月から2013年の3月まで宮城県に一年間常駐して沿岸部を中心に建築を通じた復興支援活動を行いました。
画像 1698
何もない場所、そもそも「場所」が無くなってしまった所。そこでは普段自分達を幾重にもなって守ってくれているレイヤーが全て理不尽に剥ぎ取られてしまっていました。
なので普段は目にも留まらなかった色々なものが鮮明に見えてきます。
人の美しいところはもちろんですが、自分より一回りも二回りも歳の離れた人の醜いところなどを毎日見ているうちに、
人の「生活」とはこんなにも辛く愛おしいものだったのかと、自分はこんなに当たり前の事さえ見えていなかったのかと、頭をがつんと殴られたような気分でした。
なので人の営みが大きな理不尽によって破壊されてしまった風景を見ると、時間が経った今でも感情が揺さぶられてしまいます。
そこで目にした風景や、体験、得た知見が今の自分を作っているのだと思います。

昨年見た映画では「ゴジラ」と「この世界の片隅に」の2つの作品に破壊された風景が登場しました。
それぞれ作中で描かれているものは異なり、共に非常に面白い作品でしたが大きく静かに長く響き続けた作品は「この世界の片隅に」でした。
この映画ではとても肌理細やかで丁寧に、かつユーモラスに「生活」が描かれています。
なので「生活」に平穏さと深刻さが同居していて、物語に飛躍や乖離がなく、地続きに確かに物語が染み込んできました。
「生活」ってよく作られた言葉ですよね。「生きるための活動」。それが紡がれて日常に。風景になっていくのかもしれないですね。
理不尽に破壊されても強く存在する風景を作り残していきたいと思います。
よろしければみなさんもぜひ「この世界の片隅に」を観に行ってみてください。くすくす笑いながら観れます。
楽しく見れるからこれまた凄い作品なんですよね。いま旧立誠小学校、立誠シネマで観れるみたいです。

てな事を、
みなさんのお正月写真を見させて頂いている内に「やっぱり家族写真って良いなぁ。」と思って書いてみました。

Photolabo hibi 松井貴之