「思い出」が必要になるとき

 

わたしは普段、日常での出来事や楽しい時間を残したくてなんとなく写真を撮りますが、「写真を撮る理由」だったり「思い出を残すこと」について、たまに深く考えることがあります。

 

最近もそれを考えるきっかけがありました。

 

 

 

つい先月、大好きだった祖母が亡くなりました。

 

数年前から病気で入退院を繰り返していた祖母の余命がもう長くないと、5月になってわかった時、「元気だった頃の祖母の写真が欲しいから持ってないか」と母に聞かれました。

 

そこでわたしが20代のときからずっと撮りためていたネガフィルムを探してみたところ、結構な数の祖母の写真がありました。

 

 

 

わたしが学生の時に祖父が亡くなって、一人暮らしになった祖母に会いによく岐阜へ遊びに行った時、一緒に遊覧船に乗った写真。

 

 

たまに年末年始などのタイミングで、大阪の実家に遊びに来てくれた時、一緒におせちを食べた写真。

 

 

結婚をする前に、タカユキ氏も連れてみんなで一緒にごはんを食べに行った時の写真。

 

 

見つけた写真のデータを母に送ったときは、案の定号泣されてしまって辛かったけど、今はそれ以上にたくさんの写真を撮っておいてよかったなと思っています。

 

 

思い出が必要になる時というのは、
大好きだった誰かがいなくなる悲しい時もあれば、結婚式で使うような嬉しく楽しい時もあって、そのタイミングは人によって様々です。

 

わたしは今までそのどちらも体験し、また写真に関わる仕事柄からいろんな人達の写真を見ていてより強く思うのかもしれませんが、思い出は残しておいた方が良いと思っています。

 

なんとなく生活の中で撮った写真が、何かのきっかけで必要になるのなら、それだけで写真を撮る理由になるとおもうんです。

 

そして趣味で写真を撮るわたし達は、普通の人よりも少しだけ誰かの写真を撮るきっかけが多いのではないかと思います。

だからこそ、誰かと過ごす時間や日常で見る風景など、身近なものほどたくさん撮って残してほしい。

 

 

 

そんなことを考えつつ、わたしはこれからも日常の写真を撮り続けていこうと思いました。